2012年10月12日

盛山和子さんと出会って

沖縄リバイバルチャーチ

※盛山和子さんは、私達家族を沖縄リバイバルチャーチから救い出してくれた命の恩人といえる方です。
(本人に了解をとって、お名前を公表させてもらっています。)


私が、盛山さんに初めてお会いしたのは、私が24歳の時でした。
それから9年が立ち、私は今年の11月で33歳になります。
この9年間で私の人生は大きく変わりました。その変化は、私自身でも大きく感じる変化です。普通は人生が180度変わったなんて表現しますが、私の場合 、1260度変わったと言えるほどに、人生が変わりました。
1260度とは、人生が3回転半したということです。

社会的に自立もしていなかった私に盛山さんは、
私に理解できる内容でいつも教えて下さいました。優しく優しく。。。
その親身な態度に、当時の私は『この人は、何か違う。信用できる人だ。』と感じたのでした。
盛山さんの言うことなら信用できるという思いがありました。
いかに、自分が人を信用できないでいたか、また、そういう環境だったか振り返ることができます。

その優しさは、表面的で社交的な優しさではなく、心底私の事を思っての優しさで、時に叱ってくださる時も、その優しさを感じることができていたからこそ、お叱りを素直に受け入れられたのだと今思います。叱ってくれたと理解できたのです。

盛山さんは、『みさとちゃんは、素直に受け止めてくれるから。』と言ってくださいますが、よーく考えると、私が素直になれたのは、盛山さんの愛溢れ、心と心のつながりを感じさせる行動があったからなんだと思うのです。

今もまだまだ生意気ですが、当時の私は今よりもーっともーっと生意気でした。
そんな、小娘を相手にして下さったことが、どれだけ有難いことなのか
感謝しても、感謝し尽くせないほど、とてつもなく有難いことだったのです。
はっきり言うと、盛山さんと私は住む世界の違う人間なのです。
(こういう表現は怒られるかもしれませんが。事実です。)
当時の私は、そのことを深く考えることもなく、盛山さんの深い愛に甘えてばかりいたのです。

現在、2児の母になったこともあり、考え方に変化も出、当時を振り返り
自分の至らなさや、当時の盛山さんの忍耐がようやく少しずつ理解できてきた今です。
しかし、今の私でも人間的・社会的にまだ年相応の行動ができていないと感じることが多いのです。

盛山さんは、学ぶ意思のある者を拒まず、
出し惜しみせず心から教えてくれます。
それは、神様や聖書のことはもちろん、人間関係、子育て、
どんなことでも全身全霊で向き合って下さいます。

この世に、金銭のしがらみなく全身全霊向き合ってくれる方を知っていますか?

私は、盛山和子さんしか知りません。



愛とは。。。

一般的感覚では、家族間で大切に思い合うことというくらいが現代的かも知れません。


隣人愛。。。

自分の身近かな人と、その周りの人とも愛し合い、助け合うといったかんじ。勉強不足な表現をお許し下さい。


盛山さんの愛。。。

人を選り好みせず、どんな人にも心から向き合っている。
自分を人生・時間すべて犠牲にしてまで、人の為に行動している。
忍耐をもって、一人一人のタイミングがくるまで待っている。絶対見捨てない。
足並みを揃えさせたり、型にはめ込んだりはしない。
人の欠点や、過去を責めたりしない。
お金のある人ない人・地位や名声で人を図らない。

人間的な欲望で判断したり、損得感情に左右されることなく
一人一人と向き合ってくださっています。

このような行動がなぜできるのでしょう。
やはり、愛以外のなにものでもないと思うのです。
愛は与えれば与えるほど、大きくなると教えてくれました。
ですから、単なるお節介ではここまで携われません。

その盛山さんの愛については、新垣美智さんのブログでもよく記事になっていますが私も、その愛を9年間注がれてきた一人として、その図ることのできない壮大な愛は、今の私の表現では、まだまだ書き起こすに表現方法が足りないというほどでもっと読んでいる方に少しでもその思いが伝われば幸せです。

わたし達家族を、あの沖縄リバイバルチャーチから救い出すと心に決めた盛山さんはきっと、この問題に携わると10年~20年はご自分の人生を費やすと知っていたのです。でも、ものを知らない私は、5年もすればすべて解決すると軽く受け止めていたのです。
盛山さんの存在自体も、どんな時も一緒にいてくれる優しいおばさんというのが私の認識だったのです。

しかし、今はその存在の大きさは、山を超え、雲を超え、
天まで広がるほどに大きいのです。
宇宙のように果てしないのが盛山さんの愛は、
聖書の愛を私に教えてくれます。

これほどまで私の人生に大きく影響してくれる盛山さんがいなければ、私の子供達も、今ここに存在していないと言えます。
そして、今ここにいる我が子の将来も、盛山さんと出会い触れ合ったことで確実によい方向へ進んでいると実感しています。
また、子供と一緒に私も、人間として、親として確実に成長することができています。

苦しいときも、嬉しいときも、いつも立ち会ってくれた盛山和子さんに
心から感謝しています。


出会った当初、盛山さんは『私のこと、かずちゃんて呼んでいいのよ!』
と言ってくれました。
なんの疑問もなく『かずちゃん』と呼んでいました。

かずちゃんと呼んでいいと言うことで、私の段まで降りてきてくれていたこと
30代になってからしか理解できていませんでした。

今は、『かずちゃん』なんて気安く呼べません。
当時『ね〜、かずちゃん〜』なんて話しかけたりしていたことが申し訳なくて
身の程知らずとは、こんな私の事だと反省し、今後の人生に生かすことで
許してもらえたらと思います。

つらい経験の中、盛山和子さんに出会えたこと、
神様にありがとうございます!です。


神様、聞いていますか?私の思い。






 
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